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吐き出してます

別れたいのかわからない

かれこれ1年くらいブログを放置していたのですが…

見返してみると喧嘩したり好きって言ったりいろいろしてるな〜と思うのですが、今も状況は好転も悪転もしておりません。いや、悪転してるのかな?今年に入って喧嘩の頻度が上がった気はします。なんなの?倦怠期とかそういうやつなの??

 

喧嘩のきっかけはすごくどうでもよくて、でもその時のお互いの態度とかが原因で長引いたりするような喧嘩です。言った言わないだの、やったやってないだの、、、私は主に「思いやりがない」って怒ることが多いんだけど、思い返してみるとずっと「面倒くさい」とか「萎えてる」とか、匙を投げられるような言葉を使われるのがすごく嫌だなと。2人の問題だから2人で話をしているのに、「面倒臭い」って言われたらもう全てが無駄になるし、自分が頑張ってることも否定されているような気持ちになるし、なんのプラスもないですし。萎えたなって気持ちになるのもわかるけど、それを謝られた当日には「もう大丈夫」って返して、次の日に持ち越して小さな問題で声を荒げて反応するのはなにをどう考えてもよく分からないし理解できないししたくない。

 

絶対に嫌なことは言っちゃうから、言っちゃった時にどう対処しようか考えようね、って話をしていたはずなのに、「言った事実」に対して「脳みそ通して言葉出したか?」とか責めてきたり、謝ったらその時はいいよって言ったのに、あとから「あんな謝り方で?」って言ってきたり、そういう小さなことがすごい傷つくし、分かってないじゃんって思う。思いやりを持って接したいけど、こんなことを言われ続けて思いやりを持って接したいなって思えないや。別れた方がいいのかなあ。

ただの惚気

最近なんだか、彼氏がかわいくてかわいくて好きすぎてどうしようもない…!

めちゃくちゃ腹たつ〜!なんやねんコイツ!みたいなときはもちろんあるけど、なんかそういうところも全部含めて大好きだ…( ´∀`)

ハ〜〜〜〜〜〜めっちゃ匂い嗅いでギュ〜〜〜〜〜ってしてた〜〜〜〜〜〜〜〜〜い。

 

ずっとこんな気持ちのままいたいなぁ…好きでい続けてもらえるよう頑張らないとϵ( 'Θ' )϶

男で自分の機嫌をとるな

最近ふとした瞬間に思うことがあるのですが、「男で機嫌をとる女」ってよくないよな〜と。自分がそうだったから尚更なのですが。

幼い頃に色々あって、自己評価が爆下がりし、自分に自信が持てず、めちゃくちゃメンヘラ発揮してた頃の自分がいたのですが、その頃の私は誰かに認めてもらうという行為を男からしてもらうことで自分の評価を保ってた節があるんですね。たとえば「かわいいね」の一言にしても、そんなことを友達からも親からも言われたことのなかった私は脳内麻薬がドバドバと出て幸せホルモン爆上がりの世界一幸せ女なんちゃうか!って思ってしまうくらいにアガっていたんです。でもそんなの長くは続かなくて、1人になった時はまた私なんて・・・って自己嫌悪に陥る負のループ。いつしか「かわいい」「好きだよ」なんて言葉ではアガれないくらい愛に飢えてしまっていて、もっと気持ちのいい言葉を浴びせて欲しくて躍起になってたな〜ってことがありました。完全に男に依存している状態ですね。

また薬とかならまだしも、生身の人間なもので、欲しい言葉をくれない時もある。そういう時は「嫌われた」「やっぱり私は取るに足らない女なんだ」といつも以上の自己嫌悪に陥る。そうしてかまってちゃん発揮して心配かけて、心配かけた結果の優しい言葉をもらって上機嫌になる。これの良くないところは、私が病んだら優しくしてもらえるんだ、という間違った方法で優しくしてもらうことを覚えてしまったこと。

 

そうやって男で機嫌を取る女って、結局回復できないというか、いつまで経っても成長がないんですよね。私もそうだったんですけど。

それじゃよくないな〜って、私は生きていく中で少しずつ学ぶ機会があったけど、でもそういう機会ってだれにでもあるわけじゃないからすごくあぶない。下手したら気づけないままメンヘラおばさんになっていくのかな…とか思ったりします。わからないけど。

私だって運よく「親元を離れて1人で暮らす」「留学をして違う文化に触れる」「広い世界に飛び込んで自分の器と悩みと存在のちっぽけさを知る」というコンボがなければ、いつまでも自分の世界の「自分」が占める割合がデカすぎて、もっと愛してもっと慰めてって気持ちばっかりだったんじゃないかな〜とゾクゾクしたりします。色んな人と知り合って色んな価値観を知って、自分の気持ち悪さとか自分の子供っぽさに気付けてよかったけど、でもそれって本当に些細なきっかけと自分の正常な判断があったからこそなのかな、とか。

 

なかなか自分の生き方とか性格を否定するのって難しいし、言われてすぐは反射的に「私はそんなじゃない」「私はこれで満足してる」って言いがちだけど、本当にそうなのかを自分の胸に手を当てて考え得る時間が必要なんだなって思います。これは男に機嫌をとってもらう話だけじゃなくて、他にも当てはまることで。

でもそれと同時に、なんでも言われた通り変わるんじゃなくて、ここは私がしたいからしてる、私の好きなことだからしてる、って、言えることを持つのも大切なのかなと。ただそれが人を傷つけることじゃないといいけれども。

 

自分1人の行動を決めるだけなのに、色々考えることと感じることがあって大変だな〜って思います。自分1人だったら生きていくの楽なのにね!でも多分1人だと人生つまらないけどね(*´꒳`*)

magic keyboard 買ってみた

買ってみたというより、買ってもらったが正しいんだけど!

ついに揃えてしまったな〜iPad  Proとmagic  keyboard。いや〜ワシは一生Windowsで生きていくぞ〜と思ってたのについつい揃えてしもた…。

もともとはお絵かき用にiPadを使いたくて買ったんだけど、気付いたらキーボードまで揃えてたよね。もう意味がわからないよね。

 

使ってみた感想としては、可もなく不可もなく。まあ便利っちゃ便利だけど、常にWindowsを使ってた身としては、Mac慣れない!って感じだな〜。最初のコマンド設定とかですごい時間使う。

Windowsでいうctrlキーが、Macではcmdなんだけど、位置が全然ちゃうくてあせ〜!ってなる… 場所の振り分けとかし直してみたけど、キーボードが悪いのかiPadの反応が悪いのか、あんまりちゃんと動いてくれなくてイライラしたからもういじるのやめちゃった。

とかいまゆうてたけど、ゆうてながら「やっぱ位置変えたいかも…」と思ってまた再チャレンジしそうだな〜。まあ暇な時にでも。

 

てかしばらくブログ放置しまくってたんやな!ってびっくりしている!月日が経つのは本当にあっという間だ。

凪のお暇

Amazon Primeで「凪のお暇」を見た。漫画を試し読みして以降、気になっていたからとてもタイミングがよかった。(ネタバレあります)

 

私は凪に共感する人種ではないんだけれども(どっちかというと1人好きなことをして自由奔放に生きている気がする…)、でもそれでも、恋愛に左右される一女子として、とても楽しく見ることができた。

 

凪は結局はゴンも慎二も選ばず、1人自分の道を生きていく決断をしたけれど、私はそれが痛くかっこよく思えた。

気付けば高校生の頃から今まで、彼氏がきれたこともなくずーーーーっと誰かを好きで誰かに依存した生活を送っていた。なんか困ったことがあれば相談をし、苦しいことがあれば慰めてもらい、「自分で自分の機嫌を取る」なんてそれっぽいことを言いながら、男に機嫌を取ってもらう毎日だったと思う。

凪のように「自分のことは自分で。」と決めて、一歩を踏み出せる女性が、やっぱりこれからは強いのだろうか…なんて思ったりする。

 

私はそうすぐには強く離れないのかもしれないけど、でも今のこの甘えた生活を見直すきっかけにはとてもよかった。

あとそれだけじゃなくて、ゴン、慎二の目線からみて、自分の好きな人から好きって言ってもらえる環境の幸福さを改めて感じた。

 

私は恵まれてる。大切にしよう。忘れがちだけど。

自分のブログは可愛く見える

私は私の書く文章が好きだ。

読みやすいとか読みにくいとかではなく、単純に好き。言葉選びのセンス、句読点の間隔、改行の間、等々、何がいいとか悪いとかそういう細かい理由はない。ただただ「好きだなぁ」と感じることが多くある。

 

多分この文章の書き方は、幼い頃に沢山読んだ小説に影響されているんだと思う。中学生の頃は友達が少なかったので(こんなサラっと言えるようなレベルではなく、本当に本当に少なかった)常に小説を片手に持ち歩く中学生だった。

周りの人間はやれ好きな人がどうだの、やれ部活の○○がうざいだの、青春を楽しんでいる中、私はずーっと活字の世界に浸っていた。

日常では私は教室の片隅で本を抱えてうつむくだけのガキだったけど、本を読んでいる間だけは、私はその世界の中で輝く主人公になれていた。自分の知らない世界を沢山見ることが出来た。

当時本当の世界をみる力のなかった私としては、紙をめくるだけで知らない世界を覗ける「本」というものが私にとっての「世界」だったのだ。

 

そんな学生時代を過ごしたせいで、私は今こんな文章を書くようになっているんだと思う。そして私自身も自分の胸中を文字に書き起こすのがとても好きな人間に育った。

 

ただ一つ、文字を書くようになって思うことがある。

 

私は私の自己満足でこのブログを始めたし、私の自己満足で自分の気持ちを書き起こしている。それはそれで全然いいことなのだが、如何せん自分の文章が好きなので、書いたブログが可愛くて可愛くて仕方がなくなってくる。

そして可愛くなってくると今度は人に見てほしくなってくるのだ。この感情はどういう名詞で表現される感情なのかはわからないのだが、隠しておきたい、でも、やっぱり見せびらかしたい、というような気持ちになる。

私は私の気持ちを知人にひけらかしたいタイプではない。もちろん彼氏や家族なんかにはどういうことでどう思っているのかは伝えていきたいタイプではあるが、友人知人などに対してはその類ではない。なのでこうしてブログ上で文章を綴るというのはとても性に合っていて私は好きなのだけれども。

しかし書いてるともっともっとと見てほしくなる!私の文章を見て!私の気持ちを見て!と。でもアクセス数を伸ばすような技術を習得して、アクセス数を伸ばせるような文章を書きたいとは思わない。なぜなら私は今のこの文章とこのブログが好きなのだから。

 

ここで、自分の欲求と世間の需要の差を知るんだと思う。見てほしければ求められているような見せ方をしないといけないし、自分の見せ方を貫くのであれば日の目を見ない日々を耐えなければならない。でも私はこれで仕事をしているわけではないから後者で全然いいのだが、これを仕事にしていたり「見てほしい」欲求が極端に多い人の場合は表現方法を変えていかないといけないんだろうなあと思った。そう考えると、需要を理解しながら供給方法を考えている人たちは大変だなあと思う。需要を考えながら自分の表現方法を貫くことは簡単ではないのだろう。

 

私は自分の文章が好きなので、このスタイルは変えないし、見てもらうための努力はしない。でも、やっぱり見てほしいな、という気持ちはある。難しいところである。

フラッと立ち寄られた方、いいなと思ってくださる方などがいれば嬉しいけれども、いなくても悲観はしない。

 

私は私の書く文章が好き。それは今も昔も、そしてこの先も変わらなく続いていく。このブログは私が好きでいてあげれればいい。それで満足なのだから。

夏が終わった

私の夏が終わった。

 

季節的な夏は多分まだまだ続くんだけども、でも、私の夏は終わった。別にこれはいい意味でも悪い意味でもなくて、ただただ終わったな~という感情。

というのも、私の今いる会社は夏季休暇を5日間、7月から8月のなかでどこかで取得できる形式をとっていて。なので私は8月の末に5日間、土日と合わせて9連休で休暇をもらった。

今年はコロナで全然遊べないかな~とか思ってたんだけど、全然そんなことなかった。7月の4連休から青春18を駆使して旅行しまくった。自粛警察にバレたら即逮捕案件だけど。

関西から、甲信越から、関東から、四国まで、びゅんびゅん動き回って遊びまわってお金使いまくって沢山遊んだ。前の彼氏ともしたことないようなぐらい、たくさんたくさん旅行した。今の彼氏とは3月に付き合ったばっかりだから、初めて一緒に過ごす夏で初めていろんなところに行った旅行だった。とても楽しかった。

 

初めてだからもちろん色々大変なこともあった。夏になったら暑いからあまりくっつきたくない彼と、どんな季節でもどんな状況でもくっついていたい私と。外では白々しく、でも家ではめっちゃ仲いいのが理想の彼と、外でも家でも仲良くしていたい私と。

 

前みたいに激しく喧嘩をすることはなくなったけど、今でもやっぱり、多少はすれ違うことはあるよねって思った。でもいい方向には進めてるな~って思ってる。向こうのことは知らないけどね。

こんなにキラキラした夏は初めてだったんじゃないかな~ってくらい、とっても楽しい1週間を過ごした。正直1日1日が濃くて、たくさん歩いたしすごい足も痛くなったんだけど、そんなの気にならないくらい楽しかった。

やっぱり日常を過ごしていると、日々の大切さを忘れるね、って、二人で話した。こういうキラキラした日々の為に働いてるのかもねなんて言って笑った。やっぱりたまにはこうやって息抜きするのもいいよね~って。本当にその通りだと思った。

 

 

キラキラした夏が終わって、日常が戻ってきた。また来年の夏までは、長いお休みはなく働き続ける毎日になる。まだちょっとお休み気分は抜けてない感じだけど。

また日常が始まるけど、すこしでもより良い人生を歩くためなら、またこのキラキラした日々を過ごせるのなら、と思うと、退屈な毎日も楽しめる気がした。