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吐き出してます

自分のブログは可愛く見える

私は私の書く文章が好きだ。

読みやすいとか読みにくいとかではなく、単純に好き。言葉選びのセンス、句読点の間隔、改行の間、等々、何がいいとか悪いとかそういう細かい理由はない。ただただ「好きだなぁ」と感じることが多くある。

 

多分この文章の書き方は、幼い頃に沢山読んだ小説に影響されているんだと思う。中学生の頃は友達が少なかったので(こんなサラっと言えるようなレベルではなく、本当に本当に少なかった)常に小説を片手に持ち歩く中学生だった。

周りの人間はやれ好きな人がどうだの、やれ部活の○○がうざいだの、青春を楽しんでいる中、私はずーっと活字の世界に浸っていた。

日常では私は教室の片隅で本を抱えてうつむくだけのガキだったけど、本を読んでいる間だけは、私はその世界の中で輝く主人公になれていた。自分の知らない世界を沢山見ることが出来た。

当時本当の世界をみる力のなかった私としては、紙をめくるだけで知らない世界を覗ける「本」というものが私にとっての「世界」だったのだ。

 

そんな学生時代を過ごしたせいで、私は今こんな文章を書くようになっているんだと思う。そして私自身も自分の胸中を文字に書き起こすのがとても好きな人間に育った。

 

ただ一つ、文字を書くようになって思うことがある。

 

私は私の自己満足でこのブログを始めたし、私の自己満足で自分の気持ちを書き起こしている。それはそれで全然いいことなのだが、如何せん自分の文章が好きなので、書いたブログが可愛くて可愛くて仕方がなくなってくる。

そして可愛くなってくると今度は人に見てほしくなってくるのだ。この感情はどういう名詞で表現される感情なのかはわからないのだが、隠しておきたい、でも、やっぱり見せびらかしたい、というような気持ちになる。

私は私の気持ちを知人にひけらかしたいタイプではない。もちろん彼氏や家族なんかにはどういうことでどう思っているのかは伝えていきたいタイプではあるが、友人知人などに対してはその類ではない。なのでこうしてブログ上で文章を綴るというのはとても性に合っていて私は好きなのだけれども。

しかし書いてるともっともっとと見てほしくなる!私の文章を見て!私の気持ちを見て!と。でもアクセス数を伸ばすような技術を習得して、アクセス数を伸ばせるような文章を書きたいとは思わない。なぜなら私は今のこの文章とこのブログが好きなのだから。

 

ここで、自分の欲求と世間の需要の差を知るんだと思う。見てほしければ求められているような見せ方をしないといけないし、自分の見せ方を貫くのであれば日の目を見ない日々を耐えなければならない。でも私はこれで仕事をしているわけではないから後者で全然いいのだが、これを仕事にしていたり「見てほしい」欲求が極端に多い人の場合は表現方法を変えていかないといけないんだろうなあと思った。そう考えると、需要を理解しながら供給方法を考えている人たちは大変だなあと思う。需要を考えながら自分の表現方法を貫くことは簡単ではないのだろう。

 

私は自分の文章が好きなので、このスタイルは変えないし、見てもらうための努力はしない。でも、やっぱり見てほしいな、という気持ちはある。難しいところである。

フラッと立ち寄られた方、いいなと思ってくださる方などがいれば嬉しいけれども、いなくても悲観はしない。

 

私は私の書く文章が好き。それは今も昔も、そしてこの先も変わらなく続いていく。このブログは私が好きでいてあげれればいい。それで満足なのだから。